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京都行の目的はトルコ至宝展(明日7月28日まで)とランチと御朱印。
そして、きいろさんとお会いすること。
護王神社
護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしています。
確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。
江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。
明治19年(1866)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座。後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀りました。
その後、崇敬者により境内の霊猪像(狛いのしし)が奉納され、「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれています。
入り口では、イノシシが迎えてくれた。
静かな境内で、やっぱり神社は落ち着く場所だと思った。
烏丸御池駅に向かいながら・・・
レストラン「青いけ」との位置関係はこの地図の通り。
烏丸御池駅に向かう同じ通りに菅原院天満宮神社があったのでそちらもお参りすることにした。
途中、「日本聖教会 聖アグネス教会」があった。
第二次世界大戦の時には軍需資材置き場に充てられたりしたという歴史もあるけれど、
今では、
- 京都教区の中心としての主教座聖堂
- 地域の教会としての聖アグネス教会
- 平安女学院の礼拝堂
としての3つの役割を果たされているそうである。
今度ゆっくり訪れてみたいと思った。(私は無宗教だけれども・・・・)
菅原院天満宮神社〜菅原道真公がお生まれになった社
かの有名な学問の神様「菅原道真公」がお生まれになった社だそう。
産湯を使った井戸があったけれど、井戸自体は新しくなっていて当時の雰囲気は感じ取れなかった・・・。
道真公は梅を愛好していたので境内に梅が多く、門にも梅・・・。
しっかりと常日頃のお礼をお伝えしてきた。
2つの御朱印
御朱印は、昔は写経を納めた受付印の役割を果たしており、西国三十三所霊場詣や四国八十八箇所霊場詣、七福神めぐりなどの巡礼がきっかけで始まったと言われているそうだ。
菅原院天満宮神社では、御朱印帳の次に押してもらうページの目印をいただいた。
可愛らしい。(3冊持っているので、あと2つ欲しかったけれど我慢・・・)
千代紙で折られたこの目印が、たくさん置かれていて好きな色・柄を選ぶことができる。
私は2つの色で迷い、結局神社の方に選んでいただいた。
Sが亡くなって、まだまだ本当に辛くて苦しくて・・・
そんな時に東京の御朱印を巡りをしている友達には、「お寺と神社にお参りすると落ち着くよ」と言われている。
今回もちょっとだけ、きいろさんに辛い気持ちを聞いてもらった。
たまたま御朱印巡りをしたいかも。。。と思った時にSも同じことを思っていたらしく私より先に御朱印帳を買っていた。
それがこんなことになって残念だけれど、御朱印はお寺や神社とご縁を結んだ証であり、積み重ねた修行の証でもあるので、コツコツとマイペースで御朱印巡りをしていこうと思う。
本当はSと一緒に修行を積みたかったけれど、彼は非常によくできた人間だったのでさっさとこの世での修行を終えて先に逝ってしまった。
(でも彼のお母様も非常に素晴らしい方なのでこの考え方に矛盾を覚えてしまったりする・・・)
もう一度生まれ変わっても出会いたいから、向こうの世界に行くのにあまり間があいてるしまうとどうなるんだろう・・・。
Sに言わせれば、自分は亡くなったのだから「無」であって、”くだらない”と一笑されると思う。
話しは逸れたけれど・・・
この日は、このあと京都駅に行って伊勢丹で買い物をして帰宅した。
充実の京都だった。
今年中にあと3回くらい行きたいと思っている。