〜 blancのひとりごと

【幸福】自分のしたいことが分かっている人は幸せ

 

 

 
昔は本当にせっかちだった。
たくさんのことをしたかったから。
歩くのも異様に早かった。
 
スケジュールはぎっしり。
今の言葉で言えばリア充
 
「引きこもり」なんて言葉は私の辞書にはなかった。

 

仕事も忙しかったが若さ故に体力が今よりはあった。

休日は友達とのランチ、美術館巡り、ドライブ、山登り、海外旅行、コンサート、ショッピング等々。

 

実家にいても、遊びで家にいなさすぎて、見かねた父から、

  • 家はホテルではない(=母の手伝いをしなさい)
  • 土日のどちらかは家にいなさい(同上)

とよく叱られていた。

 

だから、一人で暮らす様になってからは「糸の切れた風船」の様に自由に気ままに過ごしていた。

 

あの私のパワーはどこに行ったのだろう。「若さ」とは偉大だ。

 

今は「引きこもり」の週末が必要だし、一人でも落ち着く。

全く別人になってしまった様な気もする。

若い頃の「あれ」は本当に私だったのだろうか・・・。

 

この10年はいろんなことが変化した。

住む場所も2回変わった。

環境変化だけではなく、自分の身体も変化したのを感じる。

 

このままだと、体力はもっと衰えてしまいそうで危機感を覚えている。

 

疲れていると、自分の為に使う時間もただ過ぎてしまう。

 

食べるもの、運動、メンテナンスなど自分の健康の為にもっと時間を割いて、向き合いたい。

 

そう思っているのにあっという間に1週間が過ぎている。

 

以前に比べたら圧倒的に退社時間は早くなっている。

周りは特にそうだ。

 

今週は、21時、24時(これは仕方ない)、20時半。

毎日22時半を超えていた時代からすると天国だが、働き方改革の前にはもっと生産性を上げていかないといけない。

 

もっとプライベートも充実させたい。

きちんと歳を重ねていかないと、あとで後悔すると分かっている。

 

若い頃だって、それなりには何かを考えていたはずだった。

でも今振り返ると例えば20年後の自分を明確にデザインできていたかというとできていなかった。

今も同じ。20年、30年後の自分のありたい姿はボンヤリしている。

 

明確な目標がないと、行動も漠然としてただただ流されてしまう。

 

「自由に、気ままに、流れるように。」

意志を持って、心のままに抗わずに流れていきたいが、今の私は、何にもしないで流されている。

 

仕事というボートで会社という大きな川を下りつつ、その先の海がどんなものか分かっていない。

 

人によってはボートを漕ぎながら、海に出たあとの自分の絵を描いたり、ボートを漕ぎながら他のことができたりするのだと思うが、私は不器用なのかボートを漕ぐだけで今は終わっている。

 

好きだと思っていたことも、Sが他界してからあまり楽しくない。

 

ボートを漕ぎながら、次の加齢という変化とどう付き合って、将来海に出たらどうしたいのか?

 

今のままだと、川を下りきって大海原に出たら遭難しそう。

 

どんな小さな目標でも、仕事のボート以外に自分がしたいことを見つけたい。

この5年くらい考えているけれど全く変わらずまだ見つからない。

見つからず焦っている。

 

「のんびりしたい」

今のところ、こればかり。

分かっているのは、のんびり働かずに優雅に暮らしたいけれどその手段が見つからない。そんなところだ。

(そんな暮らしをしてみて、また働きたくなったらその時働けばいいと思っている。)

結局のところ、私は何にもしたくないのかもしれない。

 

 

自分がしたいことが分かっている人は幸せだ。

 

 

 

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