〜 blancのひとりごと

【迷】「好きなこと」が正しくないから、「好きなこと」として認定できない?

 

 
ずっとモヤモヤしていることがあります。

yukurinko.hatenablog.com

 

こちらの記事を読んで、「その通り」と頭では理解できるのですが、実行が伴わない・・・。

 

 

〇〇リストはあってもなくてもいい

 

私の場合、

・欲しいものリスト

・したいことリスト

などは、たまに見直すことはあっても、多分なくても困らない。

 

「自分が欲しい」「自分がやりたい」と分かっていることは、実現しているからです。

 

「分からないこと」がモヤモヤしています

私の分からないこと。

 

・今の仕事をいつまでするのか

・もし仕事を辞めたら、どうするのか

・仕事をしないならば、何をしたいのか

・本当にしたいことって?

 

ずっと「ぐるぐる」しています。

 

かなり昔から分からずにいました。

 

でもその訳がちょっと分かった気がしたのです。

 

そのうち分かるから・・・の「そのうち」が一向に来ない

 

目の前のことをしっかりやろう

青い鳥を探すのもいいけれど、まず自分ができることをやっていこう

 

そんな風に思って、過ごしてきました。

でもそうしていても、一向に分からない。

 

考えないのだから当たり前ですよね。

 

自分のやりたいことが分からないって・・・

 

思えば子供の頃からそうでした。

小学校の卒業アルバムに「将来の夢」を書くことになっても、特になかったので「適当に」書きました。

 

大学を受ける時も、「どうしても勉強したいもの」はなかった気がします。

大学は行くものという無意識のレールに乗っていたんでしょう。

就職もそうです。

「働かないといけない」から「特にやりたいことはなかった」ので、入れる会社に入りました。(就職難で選べなかったし・・・)

 

結局「やりたいこと」が分からない場合、逆に「消去法」でいくしかないのかもしれません。

 

「好きなこと」だけして生きていく

 

この本に「好きなことがないという人のために」という章があります。

 

「ああ、無理無理」と思うことが実は自分が一番やりたいことらしいです。

 

好きなことを諦めて隠してしまって、何年も何十年も生きているうちに「好きなもの」の存在を忘れてしまうらしいです。

 

「好きなこと」が正しくないから、「好きなこと」として認定できない?

 

これから先、どう思うか分かりませんけれど、今の私が好きなこと。

それは、「何にもしないでのんびり優雅に暮らすこと」です。

 

でもまだどこかで「働かないで暮らすなんて無理」と思っているのだと思います。

だから「好きなこと」として認定できないのかもしれません。 

 

「働かないで暮らす」なんて「ああ、無理無理」と思っていたから、「働く現実」を引き寄せているのかもしれません。

 

 

何にもしないで優雅に暮らす

 

起きたい時間に起きて(起きなくてもいい)

好きなものを食べて

好きなものに囲まれて

好きな時に好きな場所に行き

好きなことしかしない

 

そんな「わがまま」なことを私はしたいんだと思います。

それをやった後、満足するかどうかは分かりませんが、とにかく「時間やお金から自由になりたい」

 

「そんな毎日はきっとつまらないよ」と言われても、私がしてみたいんだからいいんです。

 

心屋さんのいう「ああ、無理無理」(と他人に言われること)は実際問題私がとってもやってみたいことです。

 

自分のやりたいことは、他人と同じでなくてもいい

 

いろんな人のやりたいこと、好きなことを見て、自分もその範疇で何かないものかを考えていましたが、無理でした。

だから「そういうもの」を見つけるのは一度手放すことにします。

 

今、私は何もしたくない。

 

何もしないで、働かないで、その結果何がしたいか分かるかもしれないし、やっぱり何もしたくない怠け者かもしれません。

 

さて。自分のやりたい「働かない生活(でも貧乏は嫌)」を実現する手立て。

それを考えないといけないのですが、難しいので今日はやめます。

 

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寒くなっても、冬でも咲いている父のハイビスカス


 

 

 

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