こちらの記事を読んで、「その通り」と頭では理解できるのですが、実行が伴わない・・・。
- 〇〇リストはあってもなくてもいい
- 「分からないこと」がモヤモヤしています
- そのうち分かるから・・・の「そのうち」が一向に来ない
- 自分のやりたいことが分からないって・・・
- 「好きなこと」だけして生きていく
- 「好きなこと」が正しくないから、「好きなこと」として認定できない?
- 何にもしないで優雅に暮らす
- 自分のやりたいことは、他人と同じでなくてもいい
〇〇リストはあってもなくてもいい
私の場合、
・欲しいものリスト
・したいことリスト
などは、たまに見直すことはあっても、多分なくても困らない。
「自分が欲しい」「自分がやりたい」と分かっていることは、実現しているからです。
「分からないこと」がモヤモヤしています
私の分からないこと。
・今の仕事をいつまでするのか
・もし仕事を辞めたら、どうするのか
・仕事をしないならば、何をしたいのか
・本当にしたいことって?
ずっと「ぐるぐる」しています。
かなり昔から分からずにいました。
でもその訳がちょっと分かった気がしたのです。
そのうち分かるから・・・の「そのうち」が一向に来ない
目の前のことをしっかりやろう
青い鳥を探すのもいいけれど、まず自分ができることをやっていこう
そんな風に思って、過ごしてきました。
でもそうしていても、一向に分からない。
考えないのだから当たり前ですよね。
自分のやりたいことが分からないって・・・
思えば子供の頃からそうでした。
小学校の卒業アルバムに「将来の夢」を書くことになっても、特になかったので「適当に」書きました。
大学を受ける時も、「どうしても勉強したいもの」はなかった気がします。
大学は行くものという無意識のレールに乗っていたんでしょう。
就職もそうです。
「働かないといけない」から「特にやりたいことはなかった」ので、入れる会社に入りました。(就職難で選べなかったし・・・)
結局「やりたいこと」が分からない場合、逆に「消去法」でいくしかないのかもしれません。
「好きなこと」だけして生きていく
この本に「好きなことがないという人のために」という章があります。
「ああ、無理無理」と思うことが実は自分が一番やりたいことらしいです。
好きなことを諦めて隠してしまって、何年も何十年も生きているうちに「好きなもの」の存在を忘れてしまうらしいです。
「好きなこと」が正しくないから、「好きなこと」として認定できない?
これから先、どう思うか分かりませんけれど、今の私が好きなこと。
それは、「何にもしないでのんびり優雅に暮らすこと」です。
でもまだどこかで「働かないで暮らすなんて無理」と思っているのだと思います。
だから「好きなこと」として認定できないのかもしれません。
「働かないで暮らす」なんて「ああ、無理無理」と思っていたから、「働く現実」を引き寄せているのかもしれません。
何にもしないで優雅に暮らす
起きたい時間に起きて(起きなくてもいい)
好きなものを食べて
好きなものに囲まれて
好きな時に好きな場所に行き
好きなことしかしない
そんな「わがまま」なことを私はしたいんだと思います。
それをやった後、満足するかどうかは分かりませんが、とにかく「時間やお金から自由になりたい」
「そんな毎日はきっとつまらないよ」と言われても、私がしてみたいんだからいいんです。
心屋さんのいう「ああ、無理無理」(と他人に言われること)は実際問題私がとってもやってみたいことです。
自分のやりたいことは、他人と同じでなくてもいい
いろんな人のやりたいこと、好きなことを見て、自分もその範疇で何かないものかを考えていましたが、無理でした。
だから「そういうもの」を見つけるのは一度手放すことにします。
今、私は何もしたくない。
何もしないで、働かないで、その結果何がしたいか分かるかもしれないし、やっぱり何もしたくない怠け者かもしれません。
さて。自分のやりたい「働かない生活(でも貧乏は嫌)」を実現する手立て。
それを考えないといけないのですが、難しいので今日はやめます。