あとどれくらい?
いろいろ欲しいものを買おうとする時、ふと、『自分はあとどのくらいこの物とお付き合いできるのだろう?』と考えてしまうようになった。
欲しいけど、私以外の人には単なるガラクタとなってしまうかもしれない物を増やしていいものか考えてしまう。
老いてきた親を見ていると考えざるを得ない。
大切に使いたいもの
実家にある大物家具は、幸い私も引き続き使いたいと思っている。
ただいかんせん、大きいのでコンパクトに暮らそうと思うとどうなるのだろう。
広めの平家に引っ越せれば可能かもしれないが、それとて私も永久に生きるわけでもなく、大事にしてきた家具も住む人が変われば無用の長物になる可能性は大だ。
そんなことを考えると、物を買う時に躊躇してしまう。
だから、こないだ割ったワイングラスもまだ買い直していない。(家に他にグラスはあるし)
買うにしても、どれにするかよくよく考えたい。
老いるまでに
母の具合が急速に悪くなったのは2017年の秋くらいから。
元気の塊のようで、家庭の中で太陽のような存在だった母が今は月のよう。
満月の時もたまにあるが、そうでない時も多い。
そんな母を見るのも長くなり、だんだんと元気だった頃の母を思い出すのも難しくなりそう。
この10年、自分も忙しくて、親との時間をもっと大切にしておけば良かったと悔やまれる。
老いていく母を見て、私自身の健康も不安になる。
特に、骨密度と下半身の衰え。
不便さは必要なのかも
わざわざ、運動するのが苦手。
思えば地元にいた頃は通勤がいい運動だったのかもしれない。
徒歩通勤は楽だけれど、その分運動量が確実に減っている。
電車に乗ると階段の上り下りはあるし、自宅から駅、駅から会社の往復の徒歩。
運動にはなる。
今は楽だけど、不便な方が生活の中で鍛えられるからいいなと思う。
スクワットとウォーキング
介護は修行
ある人が『介護は修行』
そう言った。
ある意味そうなのかも。
いろいろストレスは溜まるし、気を揉むことも増えた。
でも『修行が終わる時はお別れの時』と聞いたら、長くても修行が続く方がいいと思う。
私の周りにはもう親が他界した人もいる。
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