〜 blancのひとりごと

時々は泣いてもよいことにしている

 

とても注意して気持ちに蓋をしているのだけれど、その蓋が不意に開いてしまうと大きな悲しみに襲われる。

 

1周忌が過ぎても、何も変わらない。

むしろ悲しみがどんどん大きくなる。

 

時間だけはただひたすら過ぎて、私は相変わらず以前と変わらずの生活を送っている。

 

もう少しで3回忌。

 

あんなことがあって、誰でも必ず明日が来るとは限らないと身をもって知ったのに今のことろ私は自分の残りの人生をたいしてやりたいと思ってもいないことに費やしている。

責任感だけで仕事をこなしている。

あと暮らしのため。

 

一人でいると、時々悲しくて悲しくて仕方がなくなる。

 

それでも。

 

一日中泣き暮らすことはない。

ふとした瞬間に悲しみに襲われて、

深い暗い場所に落ちる私を

 

その場所から引きずり出すのもSなのだ。

 

Sがそんな私を見たら悲しむだろうということで穴から出るわけではない。

なぜなら、よくSは生前「亡くなったら無だ」と言っていたから、

Sが悲しむよ、と言われても「(自分は)無だからそういうのはない」と思っているに違いない。

というか無だから何にもないのだ。

 

ただ、

 

その深い暗い場所にいても意味はない。

 

ということをその時々のSの言葉というかうまく説明できないのだが、存在みたいなものが私の心の中に起こってきて、日常生活に戻してくれる。

 

 

だから。

普通に、朝は起きて会社に行き、週末は刹那的であってもやりたいことを探して、生きている。

 

ただSと過ごす時間、圧倒的に楽しいという時間がなくなり、

これから一緒にしたかったたくさんのことができない。

 

楽しいことをしても、何をしてもSとしたかったと思ってしまう。

 

嫌なことを1つも思い出せない。

そんな風に思える素晴らしい時間と思い出をたくさんもらったのにそれすらもあやふやになってきた気がして不安。

 

もう一度出会った頃からやり直せたら、

そして終わりが来る日のことを知っていたなら、メモ魔になって逐一記録をしておきたい。

 

そんなことをとりとめもなく考えたりしている。

 

今の私と、今あるモノでやっていかないといけないのだ。

 

よくSに言われていた。 

 

あるモノの中から選べ。

 

私が何かを気にすると、

気のせいだ、気にするな」とよく言ってくれた。すると不思議と安心できた。

 

今私が望んでいることは、ないモノなのだ。

 

あるモノで満足する。足るを知る。

そして、私が悲しいのは気のせいだ。

 

いろんな意味で私の師でもあったS。

私がまだまだダメなのに逝ってしまった。

 

あるもので、満足できない未熟な私を置いて、

なんで先に逝ってしまったのだろう。

 

年明け、高校の同級生がやはり頸部大動脈瘤が破裂して突然亡くなったと聞いた。

辛い。

ご両親の悲しみは心の底から理解できる。

 

そして、きっと私がこんな気持ちでいることを

普段の私を見ている人は知らないだろう。

 

世の中の人も同じで、普通にしていても

心に大きな悲しみをたたえている人がいるんだろう。

 

昔はそんなことを考えもしなかった。

 

これを書きながら、私は誰も見ていないのに恥ずかしいと思いながら泣いている。

 

泣いてもいいと決めた日は、音楽を聴いても泣きたくなるし、いろんなことを思い出しては泣いている。

 

この半年くらい、あまり泣いていなかった。

もう少しで3回忌。

今月はもう少し泣いてもよいことにする。

 

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