新しいOS:macOS Sierra:デバイス間でコピー&ペーストができるようになりましたね。
本当にできるので、体験してみてちょっと感動しました。
しかし、この機能は自宅よりも会社で使いたいのに、会社はタブレットはiPadなのにパソコンは、Macではないのでできません。(会社もMacBook Proにならないかしら・・・)
さて今日は、ミニマリズムと私の距離感等についてのひとりごと。
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私が好きな主なミニマリストさん達
エリサさん、みうさん、おふみさんの著書を持っています。
北海道のエリサさん以外はお会いする機会に恵まれました。
(北海道に住んでいたことがあるのに・・・まだ残念ながらエリサさんにはお目にかかれておりません。)
エリサさんは本のサイズもひとまわり小さい。
色使いも2色。さすが生粋のミニマリスト!
皆様のブログ&著書はこちらです。
エリサさん:トラモノ電子書籍化決定&新しい本が出ます! - 魔法使いのシンプルライフ
みうさん :ヨガとシンプルライフ
みうさんは、ミニマリストというより、シンプリスト。
(結果的にモノが少なく過ごしていらっしゃるタイプに見えます。)
おふみさん:ミニマリスト日和
おふみさん、3冊目の本です。
あとは、主婦ブロガーのメグさん。
読み物として読みたかったので、ミニマリストを目指しているわけではありません。
おふみさんのミニマリスト定義なら、私はミニマリストに半分合致
おふみさんのミニマリストの定義
①自分にとってモノの適量がどれくらいなのか探りながら暮らしている人
②モノが多いより少ない方が、心地いいと感じる人
私の場合は、
①は合致
②モノにより、モノの数と心地よさは異なる。「多い少ないに偏らず適量が心地いい」
になります。
でも、多いのと少ないの、どちらがいいかと言われたら、少ない方がいいです。
(お金以外は・・・。お金は多い方がいいと思います。)
ミニマリズムは一度その域に踏み込むとどんどん深まっていきそう
昨日のおふみさんの記事。
びっくりしました。
おふみさんは「どこまでいくのかしら・・・」
一人一枚のタオルで暮らす実験をしています。【モンベル速乾マイクロタオル】 - ミニマリスト日和
一人一枚????
でも、実験しながら・・・というところがとても大事。
だから私はおふみさんに共感できます。
おふみさんは、「むやみやたらと手放す」のではなく、「心地いい」「ほっこり」を維持できるレベルでミニマムを維持する方だと思います。
私は、物理的な数のミニマム至上主義ではないので、ここまではできそうにありません。
ただ共感できる部分がたくさんあります。
私のモノに対する考え方:5ヶ条
①無駄なものは持たない
②自分が好きなもの、美しいものを「厳選して」持ちたい
③必要な無駄はなくさない(心地よく過ごすための無駄)
④思考はシンプルに(でも時にはぐちゃぐちゃしてもいい。人間だから。)
⑤目指す姿にとらわれすぎない
補足
①無駄か無駄でないかは、自分基準(人とは違うこともある)
②「厳選」して合致しないものは買わない(実用品はやむを得ない)
③生活の潤いの為に必須
④モノもさることながら、思考のシンプルは重要
⑤5ヶ条はあくまで指針。こだわり過ぎない。何事も中庸は大切。
情緒と合理性を共存させたい、必要な無駄は手放さない
合理的だけだと楽しくない ・・・情緒と合理性が共存している母
私の母は、ミニマリストではありません。
でも「なければないで、あるもので何とかしなさい」という考えの持ち主でした。
ですので、「(自分が)無駄と思うものは一切持たない」人。
(最近は歳のせいかそのルールが若干緩んできた気がします。でもそれもいいのかな、なんて思います。)
ロマンチストと合理性が同居した人なので、情操教育もしてくれましたが、一方で非常に合理的でシンプル。
そんな母の影響を多く受けていると思います。
実際、私の自宅には結構「ないもの」があって、「ミニマリスト」という言葉が世に出て、その方々が持っていないものを知った時に、「私(や実家では)はもともと持っていないけれど」というものがとても多かったです。
(水切りかごやバスタオルを使わない、等々)
必要な無駄もあって、必要ならばそれは無駄ではない
花は自宅に飾らなくても生活はできます。
でも私はできればお庭があって四季折々を楽しみたいし、食卓やトイレに花を飾りたい。
【花】花は安らぎを与えてくれます - blancのひとりごと
合理主義に徹すれば不要なものでも、私は持ちたい。
となれば、一見無駄なものでも必要ということがあります。
例えば私の必要な無駄とただの無駄
必要な無駄:居住空間
狭いのは苦手です。
一人3DKの今でも狭く感じます。
たとえ、モノを極限まで減らしたとしても広い部屋がいいです。
自分が所有したい厳選されたものだけを納めて、なお広々とした部屋。理想です。
「一人で広すぎない?」と他人から見て無駄でも私には必要です。
(だからそもそも必要な無駄でもなく、必要なものかもしれません。)
広い家に住みたいです。
将来ずっと一人の予定ではないので、やっぱり一定の広さは欲しいです。
ただの無駄(あくまでも私にとって、です。)
・半端なカフェ
半端なカフェなどでの飲食。
私はうるさい場所が苦手なので、カフェなどは落ち着きません。
カフェで過ごすなら、片付いた家で好きな器で好きなものを飲みたいです。
椅子やテーブルも座り心地が悪いとくつろげません。
その点北海道では、広くて自然豊かな、静かなカフェがあって今よりはたまに訪れていました。
・半端なもの
飽きてしまうので、一定レベル以上のものが欲しいです。
この点で私はモノが増えないと思っています。
半端なものを買うなら、要らないから結果的に買わないことになって増えません。
これが「厳選して」持ちたいというところです。
他にもマイ基準があります。
これは「人と同じでなくていい」と思っています。
みんながスターバックスが好きでも、私はそんなに好きでもありません。
(他に休憩する場所がないので行くこともありますし、人が行くときはもちろんご一緒します。)
人と同じでなくていい(同じがあってもいいけれど)でもさじ加減は必要
私は小さな頃から「人と同じでなくてもいい」と育てられたので、至極当たり前のことでした。
ですので、ものを持つにも何かするのも「人が持っているから」基準はないです。
だから、こういうことを初めて本で読んだ時は「当たり前なのに」と思いました。
ただ社会生活を送る上で「マイルール」を押し通すと「わがまま」「自己中心」という範疇に入ることもあるので、さじ加減が必要です。
人とうまく折り合いをつけながら、可能な限り自分基準を尊重したい。
そんな風に思います。
(だから「他人の範疇」の「他人基準」は絶対に脅かさない、「人は人」なのです。)
「自分基準」を見つけましょう
私が友達にミニマリストさんのことを話した時に、
「こんなにモノが減らせない(捨てられない)」
という反応がありました。
別に私は「モノを捨てることを推奨」したいわけではありません。
ミニマリストさん達もそうだと思います。
自分にとって「心地よさ」「やりたいこと」「大切なこと」を追求していったら、
たまたま「モノが少なくなる」ことに到達したのだと解釈しています。
そして、それは全てではないけれど、概ねその方法が
「自分のしたいことに到達する」近道になるのかもしれない。
「夢を実現するのに必ずミニマムでなければならない」ということではなく、
実際にその方法で「理想の暮らし方」を手に入れた人がいるという事実がある、ということです。
私はまだ「ミニマリズム」に徹していないのですが、もしかしたら「もっとミニマムになる」ことで、自分の目標や夢がクリアになるのではないかと感じています。
ただミニマリストさん達のように「一気にできていない」です。
私の5ヶ条に沿って、マイペースで物事を進めていこうと思っています。