すみれさんのこんな記事を読んで思ったこと。
つらつら書いてみます。
(思ったことであって、すみれさんの記事とリンクしているわけではありません・・・)
会社の時間中そのような時間は全くありません。
むしろ業務のことすらなかなか共有が難しいくらい皆時間がない。
いつもバタバタで悪く言うと余裕がない。
人をギリギリでまわすので仕方ないのと、集中と選択をしないで、全てにおいて満点を目指すのでそうなる気がします。
個人的にはもっと選択と集中をして欲しい。それでも皆一生懸命。そんなところはいい会社だと思います。
無駄話の時間が持てるのはちょっと羨ましい反面、後ろ向きな話題ならやっぱり嫌ですね。
忙しいけれど、そういう時間に付き合わなくていいという職場の良さに気づきました。
やはりそういう人(他人の批判や悪口をいう人)が私の周りにはいないので恵まれていると感じました。
ただそういうことではなく、自分の感じることや生き方と他人のそれが異なることってあります。
同じ人間ではないから、当然だしやむを得ないことです。
価値観が異なる場合、「どんな風に付き合っていくか」という部分になると思います。
それができると他人批判に陥らない。
自分と他人の価値観が異なる場合、「どう考えても無理」という場合は除いて、「価値観の差異<その人と交友関係を維持したい」場合には、やっぱり歩み寄りが必要と思います。
重なる部分は「折り合いをつけ」、それ以外の部分は「互いの価値観を尊重する」というスタンスが私は好きです。
「他人は変えられない」(=変える必要もない)
「自分も無理に変わらなくていい」(=変わりたければそれも良し)
そんな風に思っています。
「折り合い」のつけ方も、大事だなって感じます。
「折り合い」なので、自分が譲る部分と相手が譲る部分。
そのどちらかが大きくなると、どちらかが辛くなることもあると思います。
また、この部分では折り合いつけたくないけど、別の部分ではどうでもよかったり。
その逆も然り・・・。
そのあたりのバランスも「さじ加減」なのかなと思います。
長い間に自然とできる「その人との関係」において、「どちらかが我慢しすぎていないかな?」というバランス感覚は失いたくないです。
バランスが崩れると、もしかしたら「しんどく」なる。
バランスがとれているとお互い「楽しい」。
そのあたりの「さじ加減」は自然と気にかけることができるとスムーズ。
自分と他人の関係における「折り合い」と「さじ加減」
時々振り返ってみるといいかもしれないです。
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