自分が不在の時に「どこに何があるか分からないと困るので、整理して共有する」ということ、シンプルライフの記事でもよく目にするテーマです。
振り返ってみると、私の実家では、そういうやりとりはしていないけれど、特段困っていなかったと思いました。
- 実家の物量
- お手伝いの習慣かもしれない
- 母の口癖 ①よく考えなさい ②何かがなくてはだめということはない
- 生活必需品がミニマム でもモノはある
- 家族のモノについて
- おまけ:私が家族に共有して欲しいことはモノの場所ではなかった
- ちなみに・・・私の場合
- モノの適正量は人それぞれ
- あるべきものがあるべき場所にあること
実家の物量
実家は普通の4人家族の家。
- 日用品はミニマム
- 衣類等は適度に所有
- 生活必需品以外のものは結構多い(気がする)
・・・ランプとか絵画とか飾り皿、植物等々
物量はこんな感じだと思っています。
ただ家の中で「何かを探して困る」ということをあまり経験したことはないです。
お手伝いの習慣かもしれない
母は専業主婦でしたが、決して「何でもしてくれる」母ではありませんでした。
小さな頃から父の口癖は「お母さんは召使いじゃないのだから、自分でできることは自分ですること」でした。
お手伝いをしなければ、とても怒られました。
「勉強をしたい」などとうそぶくと(笑)「手伝いをしないで勉強するくらいなら、勉強なんかしなくていい」と言われていました。
お皿洗いや洗濯物を取り込んで畳むのも手伝わされ、私はこの2つが未だに大嫌いです。
当時は「お母さんは専業主婦でこれが仕事なのにずるい」などと不遜なことを思っていました。
というわけで、自然とどこに何があるか覚えていったのだと思います。
だから収納グッズもラベリングも必要ないのです。
そして、ラベリングするほど必要なアイテムが家にはないのだと思います。
母の口癖 ①よく考えなさい ②何かがなくてはだめということはない
①よく考えなさい(よく見なさい)
子供の頃、たまに「〜〜ない?」などと聞くと、「〜〜が××にあるはずないんだから考えてみなさい。」と言われました。
これは例えば、
「歯磨き粉ない?」
「歯磨き粉が冷蔵庫や本棚にあるはずないでしょう。しかるべきところをちゃんと探しなさい」というような感じです。
(実際歯磨き粉のありかを聞いたことはありませんが・・・)
ちょっと考えれば、それぞれの用途に相応しい場所に置いてあるので、よく見ればありました。
ないのは、誰かがどこかに置きっ放しにした時くらい。
動物も飼っていなかったし、生活自体もシンプルでした。
我が家において「物を探す」ということはほぼなかったです。
②何かがなくてはだめということはない
(これは「なければないで何とかしなさい」という感じです。)
私がたまに「〜〜がない」と言うと、「それでなくてはだめっていうことはないんだから」とよく言い返されました。
今すぐ思いつきませんが、そう言われるとその場にあるもので何とかするか、ないままで済ますか・・・でした。
だから今、私の住まいには結構「ないもの」があると思います。
ないのが当たり前なので思いつきませんけれど・・・。
私が、
- やかん
- お風呂場の洗面器・椅子
- 水切りかご
その他もろもろ・・・いろんなものをなしで済ませてるのも、その影響があるのかもしれません。
ミニマリストという言葉が世にで始めた時、”手放した”と紹介されているモノはそもそも持っていないものばかりでした。
ですから、”物を減らしたら探し物をする時間が減る”・・・という感覚は正直分かりません。物があってもなくてもそんなに物を探すことが日常ないからです。
あるべき物があるべき場所にあるから、だと思っています。
生活必需品がミニマム でもモノはある
たいていのものは、 居間に置かれた家具の中に収まっています。
外に出ているものは、
・絵画
・飾り皿
・間接照明のランプ
・火鉢
・植木鉢、花
といった生活必需品でないものばかりです。
あとは両親がよく使う定例物が少しだけ家具の上に出ています。
昔の私はそれをしまって欲しい(しまう場所があるから)と思っていましたが、
毎日あの家で暮らしているのは両親で、歳をとってきた彼らが無理なく暮らせることが一番なので、目くじらを立てないことにしました。
爪切りや、耳かきといった細かなものも所定の引き出しに入っているので(そこにも収納グッズはないです。)困ることもありません。
必要なものは人それぞれ。
プラスチックの収納ケースでの収納は実家でも私の家でもしないので持っていないアイテムです。
(正確には押入れの中の収納にほんの一部だけ使っていますが、ないに等しいレベルです。一番の理由はプラスチックが苦手だからかもしれません。それにあくまで私目線ですが、収納グッズに素敵なものがないから。)
家族のモノについて
改めて聞いたことはありませんが、何となく「あそこにあるだろうな」と想像がつきます。
そこを見れば、たいていのことは分かると思います。
あるべきものが、あるべき場所にあるから。
複雑に考えなくても分かる。
一方で、念の為、最低限のことはまとめておいて欲しいとは思っています。
(モノではなく、金融機関系のパスワードとかそういう情報。)
おまけ:私が家族に共有して欲しいことはモノの場所ではなかった
「家族で共有すべきこと」は、確かにあると思います。
特に今は離れて暮らしているので、やっぱり「いざ」という時は最低限のことは把握しておきたいと思います。
と思って考えてみました。
私が今「知りたい(共有したい)」ことは、
①がんなどになったら告知されたいか、知りたくないか
②老後に対する考え方(もはや老後を生きている両親ですが・・・)
③両親の葬儀に関する考え
④亡くなった時に誰に知らせるか(知らせて欲しいか)
⑤お金周りのこと
この5つでした。
ともかく「物」(何がどこにあるか)ということよりも「最後にどうしたいのか」を知りたいんだなということが分かりました。
ちなみに・・・私の場合
多分、周りもそんなに困らないだろうと思います。
急に入院することになっても、
- 着替えの場所
- それらを入れるバッグの場所
- (必要なら)お金の場所
- 誰に知らせるか
くらいを伝えればそれで終わり。
使える保険があるかは、証券をまとめてしまっているところがあるから、それを教えて終わり。これもプラスチックの収納は使っていません。
共有するより、誰かが来た時に恥ずかしくない部屋をキープしておく方が重要(笑)。
モノの適正量は人それぞれ
物を捨てない友人もいます。
私はそれでいいと思っています。
誰も迷惑していないし、彼、彼女らにはそれらを所有するスペースがあるし、家族との共有部分にはみ出している訳でもなさそうです。
ただ最低限、「自分に何かあった時に分かった方がいい物事」くらいはフォーカスして分かるようにしておけばそれでいいんではないかと思っています。
でも極論すれば、それすら分からなくても、最終的には何とかなる気はします。
- 物量がミニマムでスッキリした部屋がいい→ミニマリストさん
- 生活必需品はミニマムでいいけれど、+アルファの物でくつろぎたい→私はここ
- 物の量は気にしない、捨てたくない→モノは多めで捨てない人
人それぞれです。いい悪いではないと思います。
みんながミニマリストさんになって街が最低限な空間になってしまっても、私はちょっとつまらないし、かといってマキシマリストさんだらけになってごちゃごちゃすぎるのもちょっと嫌だなと思います(笑)。
私は中庸が好きです。極端に振れない。
あるべきものがあるべき場所にあること
物量に関わらず、あるべきものがあるべき場所にあればそんなに困らない。
私の収納の大原則です。
「あるべきものがあるべき場所にあること」
そしてちょっとの想像力さえあれば、モノ探しはしないで済むと思っています。
ちょっと考えれば分かることを、全て明らかにすると想像力がミニマムになってしまう気がします。
ツールを使わずに整理ができるように育ててくれた両親には感謝しています。
(管理の省エネ!)
モノは適量。
想像力とお金は豊か。
私の理想です。