結論は、大切な人の死を無理に乗り越えようともがくことをやめたという話。
大切な人を失うと、時間が止まる
大切な人の突然の訃報から、それまでの自分に戻れていない気がしている。
【焦点】ないものではなく、あるものを見つめる - Pleasant days〜自由に、軽やかに〜
【決意】私は今とこれからを今まで通り生きるべきなのだ - Pleasant days〜自由に、軽やかに〜
あの日を境に、いろんなことが以前と同じようには楽しめなくなり、平静を装い日常生活をこなしている。
そう「こなす」感じ。
- 時間が解決する
- 時薬
時間とともに、むしろ悲しみが深まっていく
今はここに立ち止まってもいい
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この先、あなたがどれだけ頑張っても昨日までと全く同じ幸せがあなたに手に入ることは二度とありません。頑張った先には幸せが待っているかもしれませんが、それは昨日までの幸せと別の幸せです。
あなたにとって世界が終わった瞬間かもしれませんね。大袈裟ではなく、あいつがいない今日が信じられない。あいつがいない明日が想像できない。
でも、あいつがいなくてもそこで世界が終わるわけではありません。あいつがいなくなった時間で時が止まることはありません。あいつがいなくても、世界は残酷にも通常通り動き続けます。
どうしてなんでしょう?あいつがいないのに。なぜ世界は終わってくれないのでしょう?あいつがいない世界でこれからなにをしろと言うのでしょう?
解決されたわけではないけれど、気持ちが分かってもらえた気がした記事だった。
これからの私の幸せに物理的にはもうSはいない。
精神世界は別として物体がある世界にもうSはいない。
今の私がどうしたいか
気分的には1年くらい家に引きこもり泣き暮らしたい
と思ったり、
どこか自然が美しいところでぼーっと何にもしたくない
と思ったり。
たぶん「何にもしたくない」がベースにあるのだと思う。
過去の記事を見ても「何もしたくない」と書いてあり、やっぱり私の時間はまったく進んでいない。
Sがいないから何をしても楽しくない。
引きこもりたいと思っても現実には、家に引きこもるわけにはいかない。
正確には、引きこもってもいいかもしれないけれどその選択を私はしていない。
今までの私なら「楽しい」と思うはずのことをしている。
今はそれしかできないみたい。
ふとした瞬間に、
「心から楽しいのか」?
と自問自答すると違う気がして何にもできなくなってしまいそうで、自分を問い詰めないようにしている。
周りにいる私の大切な人たちと時間を過ごして、
好きなことをする時間を増やして、
そうやって自分の心が回復していくのにゆっくり付き合っていきたい。
今、辛いことは思い出
都内には思い出の場所ばかりで、歩いているだけで泣きそうになる。
たくさんの場所をドライブしたから、テレビでその場所を見ると辛い。
山の番組を見ても涙が出る。離れていても録画して一緒に見ながら話したから。
美術館にも行きたいのに行くと悲しい。 いつも隣にいてくれたから。
お蕎麦や鰻を食べると悲しい。よく食べに行ったから。
湯葉を見ると悲しい。お母様が作ってくれるのを、地元を離れてからは持ってきてくれたから。
夜空を見上げて星や月を見ると悲しい。地元を離れてから、会社からの帰り道で電話をしながら、夜空を見上げて、「今日の月は満月だ」、「上弦の月だね」とか「今日は月が出ていない」とかそんなたわいも無い話をしていたから。
・・・・あげるとキリがない。
当たり前だけれど生活の一部始終に何らか接点があるから思い出してしまう。
離れていてもそうだったから、一緒に暮らしていた人が居なくなったら、どんなに恐ろしいかと思う。
とにかく私の好きなことをいつも一緒にしてくれたから、やることなすことが全て悲しくなってしまう。
辛い。悲しい。また会いたい。
そしてそう思うことを何とか否定して頑張ろうとした2018年だった。
それだけたくさんの楽しい思い出をくれたSに感謝している。
楽しい思い出しかない。優しくしてもらった記憶しかない。
ひとりでいると永遠に泣き暮らせる気がしてくる。
私の以前の幸せは跡形もなく消えた
なぜ先にいなくなったの?
毎日そればかり思うし、後悔がとても多い。
もっと会いたかった。もっと話したかった。もっと一緒にいろんなことをしたかった。
だけどまだまだ私の人生は続いている。
そしてまたSのように私の人生だって突然何かあるかもしれない。
あの日に私の以前の幸せは跡形もなく消えた。
でも、新しい違う形の幸せは、もう自分の手の中にあるはず。
当たり前の日常を過ごせることがそもそも幸せなのだ。
今の私にはなかなかそう思えないけれど、そう自分に言い聞かせている。
当たり前に日常を過ごせても辛いのだ。。。
でも辛い気持ちを抱えていることと幸せかどうかというのは別のことだと言い聞かせ、
大切な人の死を乗り越えなければ、と必死にもがいていたけれど、乗り越えようともがくのをやめることにした。
寂しさや悲しみに蓋をして、「明るくしなくては」「楽しまなきゃ」と自分に強制すると、その反動で寂しさや悲しみが大きく感じてしまう。
だから悲しいときにその気持ちに蓋をしないようにしたい。
次の命日、またその次の命日、またまたその次の命日と私の心に大きくついた傷が少しずつ癒えて、そのうちかさぶたになってくれたらいいなと思う。
今はまだ傷がグシュグシュしていて、ちょっとしたことで血が流れてしまう。