〜 blancのひとりごと

【自立】1人で行動がしたいけど、できない人へ「見えているものが全てとは限らない」

 

 
地元を離れてから、1人で行動をすることが増えた。
 
それまでは、Sや友達と行動していたから、あえて1人で行動をする必要がなかったのだ。
 

 

転勤先は全く知り合いも親戚もいない土地。
どうしても知人ができるまでは1人で行動をせざるを得ない。
 
そうして、「1人でする」ことが自然と増えていった。
焼肉は好きではないから「1人焼肉」はしないけれど、「1人フレンチ」はしている。
 

 

 
 
無意識に、
1人=友達がいない人
1人=彼がいない人
→寂しい人
というイメージを持っていないだろうか。
 
1人で行動していたからといって、
友達がいないわけでもないし、
彼がいないわけでもないのだ。
 
そのことが想像できない人は、1人で行動ができない気がする。
 
私が1人でフレンチを食べているからといって、友達がいないわけでもなく、
彼がいないわけでもない。(今はSを亡くしたが。)
 
周りの人が必ずしも「見えている状態の通りかは分からない。」
 
よくSが言っていた。
見えているものが全てとは限らない。
 
 
1人で行動ができないけどしてみたい人は、まずここの意識を変えてみたらどうか。
 
「人からどう見えるか」は案外「自分がどう他人を見ているか」と同じ。
 
1人でいる人を見て「かわいそう」と思うから、自分が単独行動をしたら「かわいそうな人と思われるかも」と思って尻込みするのかもしれない。
 
1人は決してかわいそうではない。
1人は自由。
何もかも自分の好きに決められるのだ
 
私はそう思っているから、友達と予定が合わなかったり物理的に遠くて一緒に行動できないが、どうしてもしたいことなら1人で行動する。
 
1人で行動ができることは、自立の一部でもある。
 
皆んなとご一緒もいいけれど、自分1人の時間を持つこともまた自由でいいものだ。
 
やりたいことがあって、興味がある友人がいないからといって諦めるのはもったいない。
1人で行動することで、また新たな世界が広がることもあり、またその世界で新たな人間関係が始まることもあるのだ。
 
1人で行動するのは、なかなかいいものなのである。
 
こんなことを書いたが今の私は1人が苦しい時間が多い。
 
私に絶対の安心感と信頼感を与えて続けてくれたSがいない今は単独行動はSがいないことをわざわざ思い出させる。
 
1人が寂しくも辛くもなかったのは、Sや友達や家族がいたからだ。
 
先週の終わり頃から、張り詰めていた心が緩んだのか悲しみがますます大きくなってきている。
Sのお母様と電話をしているが、お母様も同じことを感じているようだ。
 
先日は、「1億人も人がいても、Sはいないんだよね、どこにも。」と言われて、本当にそうだなぁと苦しくなった。
近くにいたお母様の喪失感は私とは比べものにならないだろう。
 
夜やふとした瞬間に会いたくなって涙が止まらなくなる。
もう会えない。
この事実がどうしようもなく苦しい。
 
今まで大丈夫だった1人の時間が苦しい。
気を緩めるとSを思い出してしまうから。
 
それでも再び、1人もいいものだと思える心を育てていくしかない。
Sがいないからといって、完全に1人な訳でもない。
 
Sは私のドラえもんだった。
私はのび子。
いつも助けてくれた。
 
そんな私の大きな大きな味方のSはいなくなってしまったけれど、私にはまだ友達や家族がいるのだ。
そのことを忘れてはいけない。
 

 

 

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