人生、いつ何が起きるか分からない。
突然亡くなった大切な大切な人。
長いので、Sと呼んでいる。
Special のS。
出会った時からずっと同じ呼び方をしていて、それも『さ行』だったから。
大好きな冬が、大好きな人を連れていった。
未だに信じられないというか、信じたくなくて、泣いている。
大丈夫な時と、悲しくてどうしようもない時が交互に波のように押し寄せてくる。この間隔が長くなってくると少しは楽になるのだろうか。
心の傷を磨く旅に出るどころか、まだ身支度もせず、うずくまっている。
全くダメな私である。
青いノートを開いても全く癒されない。
筆が止まる。
なかなか変われないものだ。
本当に私にとって、特別な存在。
今までも、そしてこれからもそれは変わらない。
いなくなってから、ますます大きな存在になっている。
背も高くがっちりして、安心感があった。
心の器も大きかった。強かった。
泣き言も聞いたことがない。
今更ながらすごい人だった。
友達は皆、『(Sが私にとってとても大切で特別だったことを)言わなくても分かっていたよ。』と慰めてくれる。
でも。
本人にそのことを、改めて伝えていたかしら。
私の気持ちをちゃんと分かっていてくれたかどうか。
こう思うととても苦しくなる。
後悔してもし足りない。
地元からまた赴任先に戻り、とてつもなく悲しくなり、また泣いた。
会えないこと、話ができないことがとても苦しい。
考えただけで、おかしくなってしまいそうな気がして来る。
苦しいのは私の勝手な理由。
Sは、もう何の苦労もない世界にいて、
幸せなのだから。
今もう一度、動いているSに会えたら、
たくさんのありがとう
たくさんの楽しかった
たくさんの感謝
と一緒に、
とても大切に思っていること
ずっと一緒にいてもらいたいこと
他にもたくさんの素直な気持ちを
恥ずかしがられても伝えたい。
昔の私に言いたいこと。
大切なことはちゃんと伝えよう。
他の人には伝えているのに、一番大切な人にちゃんと出来ていたのか、分からなくて辛い。
時間は巻き戻せないから、これからの私はちゃんと伝える。
そうする。
『そんなこと、言われなくても分かってたよ。』なんてことも口が裂けても言わないS。
Sと私の共通の友達が『S君は、周りをよく見てた。だからいつも声をかけてくれる言葉が的確で安心できた。』と言っていた。
だから、きっと私のこともよく見ていて、私が心地よいようにしてくれたのだ。
そこまで見てくれていたなら、私の気持ちもちゃんと理解してくれていただろうか。
Sが、言葉ではなく周りの大事な人への気持ちを態度と行動で示してくれていたこと、
『私も皆んなも分かっていたよ。
そして皆んなSのことが大好きだった。ありがとう。』
大切な人には『もう聞き飽きた』って言われるくらい、感謝の気持ちや自分の気持ちは伝えよう。
私の大好きな冬がもう少しで終わりを告げ、大好きなSも新しい世界にいってしまった。
私の心に大きな棘が刺さった。
この大きな棘が抜けることはないだろう。
そんなことを思っていても、今は苦しくても、時を経て、いつの日か知らぬ間に抜けて知らぬ間に棘の跡がきれいになるかもしれない。
その時、私はこの大きな悲しみを乗り越えたことになるのだろうか。
「最愛の人の死は、人をさらに深みのある人間に成長させる。」
そんなことを読んでも、全く響いてこない。
そんな方法で成長なんかしたくない。
「人は乗り越えられる試練しか与えらない。」
私にこんな試練はいらない。
いつも近くにいなくても、とても大きな存在で守られていたから、今は私の背後がとてもスースーしている感じがする。
Sは『気のせいだ。何もスースーしてないよ。』と言うだろう。
あちらこちらで、梅の花が咲きそうだ。
いろんな所に梅を見に行った。
『花に興味がない。』といいながら、梅だけでなく季節ごとにいろんな場所にたくさん連れて行ってくれた。
お酒もさほど好きじゃないのに、ワイナリーに連れて行ってくれて、ワインの本も読んで、『飲まないけど詳しくなる』なんて言ったり、山や美術やワインや茶道の番組があると教えてくれたり、と私の好きなことを一緒にしてくれた。
私の好物がSの苦手な食べ物で、私が残念がると『好きなものが同じじゃない方がたくさん食べられるよ』と言っていた。なるほど、と思ったりした。
私は普段テレビを見ないからベニシアさんの番組や映画など録画をしていた。
たまったら好きな時に見られるようにとDVDにして渡してくれた。
まさに至れり尽くせり、だった。
美術館もよく行った。 チケット類は全てSに渡していた。私の分も整理すると言っていた。多分同じものが2つあると思うから、遺品整理で出てきたら片方を分けてもらおうと思っている。
梅の季節が訪れる度に、梅を見に行った楽しかった思い出と共にこの棘がまた私のことをチクリと刺すと思う。
この冬のことはきっとずっと忘れることができない。
無理に歩こうとしていたが、やがて春が来たとしても私は少し冬に立ち止まってもいいのかもしれない。
心が自然と歩き出すのを待ってみる。
そして。
ここと家の中では振り返ったり悲しんだりしても、ここ以外では私は元に戻る。
そうする努力をする。
「〜〜するべき」という言葉は好きではない。
でも、これだけはすべきだという気がしている。
私は今とこれからを今まで通り生きるべきなのだ。
ないものではなく、あるものを見つめて、私の周りにあるあたたかな優しいものにたくさん感謝をしながら。
そして、少しでもSのような人に近づけるような努力を積み重ねながら。