7月の終わりの京都で、ブロガーさんたちにお会いした時にちょっと話題にのぼりました。
- 「ミニマリストをやめる」宣言について
- 「ミニマリストをやめる」宣言:私はどちらでもいい
- 「ミニマリスト」や「シンプルライフ」はそこにフォーカスしているだけのこと
- 私は「その人そのもの」に興味があって好き
- 私の場合、「Rinさん」の表現がぴったりきます
- 私にはフォーカスするものがありません(残念)
「ミニマリストをやめる」宣言について
私は単純なので、まずは「そうなんだ」と思いました。
・なりたい自分になる為に行動していく中で「ミニマリズム」に出会ったこと
・その結果1年後に「なりたい自分」を手にしたこと
・結果的に、今の自分には「モノ」が必要になってきたこと
・そうなるといわゆる「モノを持たないミニマリスト」とは違うのではないかと思ったこと
・読者の方にちゃんとそのことを伝えたいこと
そんな風に受け止めました。
みどりさんのこういうところは、私がみどりさんを好きなところの一つ。
一方、すみれさんは異なる意見を持っていました。
「(ミニマリストをやめるって)宣言することなのかな。」
こんな風に自分の意見を持って、発信するところもすみれさんを好きな理由の一つ。
その時のやりとりを正確に再現できないので割愛しますが、単純な私は再び「すみれさんはそう思ったんだ」と思いました。
「ミニマリストをやめる」宣言:私はどちらでもいい
基本的に「何事もその人がそう思うなら、それでいい」と思っています。
みどりさんが「そう宣言したいならそれでいい」ことだし、
すみれさんが「それって宣言することなのかな」と疑問を持ってもいい。
乱暴な言い方をすれば、少なくとも「宣言をするかしないか」はどうでもいい。
私が上記の記事で受け取ったのは、「みどりさんはミニマリストを今はやめた」という事実のみ。
そして、ミニマリストをやめても私は困らないし、感覚的に「共感」できました。
「ミニマリスト」や「シンプルライフ」はそこにフォーカスしているだけのこと
人っていろんな側面があります。
だから、一つの肩書きに絞るって難しい。
とはいえ、特にブログの世界は匿名であれば、何かにフォーカスしないと特徴も伝わらないし、よく分からない。
「ミニマリスト」とか「シンプルライフ」という言葉もある意味自分を表現するキーワードのようなものかもしれません。
私は「その人そのもの」に興味があって好き
「どうでもいい」と書いたのは、ミニマリストのみどりさん、すみれさん、おふみさんが好きなのではなく、その人本人が好きだからです。
みどりさん、すみれさん、おふみさんの個性の一部に「ミニマリズム」があっただけ。
だからみどりさんが「ミニマリストをやめた=ブログを読まない」とはなりません。
ヤドカリさんが「クリアリスト」をやめても、ヤドカリさんはヤドカリさん。
みうさんがヨガをやめても(やめないと思いますが)みうさんはみうさん。
ふじこさんがボールペン塗り絵をしなくなっても、ふじこさんはふじこさん。
皆さん、素敵なことに変わりはありません。
だから私にとっては「どうでもいい」になります。
沢山の個性があって、その中の一部を表現するものだと思っています。
私の場合、「Rinさん」の表現がぴったりきます
ミニマリストにはなれないけれど、お気に入りのものに囲まれてシンプルに暮らしたいです。
Rinさんの「シンプル」と私の「シンプル」は住まいにおいてテイストは異なるのですが、「スタンス」が共感できます。
そのうちお会いできたらいいなと思っています。
私にはフォーカスするものがありません(残念)
「〜リスト」「〜ライフ」とくくれるものがないので、正直「ブログのタイトル」も自分で気に入っていません。
これについては黄色い星さんに相談中。
素敵なアイディアを沢山頂いたのですが、「素敵すぎて」・・・
パッケージと中身に乖離がある「水増し商品」や「写真はイメージで実際の商品はイメージと異なる場合があります」のようになりそうで、踏み出せずにいます(笑)
みどりさんの記事とすみれさんの意見で思ったことを書いてみました。