子供の頃から、父によく言われていた言葉を思い出しました。
「世の中、絶対、ということはない。」
子供ながらに、
「絶対ってことはないのに、何故絶対という言葉があるの!」
なんて言い返したりしましたが、少し大きくなると分かってきました。
多分、親や弟と喧嘩した時などに言われていたように記憶しています。
小さな頃から、
「皆が持ってるから」
という理由では、何も買ってもらえませんでした。
「よそはよそ。家は家。」
「人は人。自分は自分。」
よく言われたなぁと思います。
同じ流れで、
自己の主張が絶対正しいとは限らない。
この方法が絶対に一番いいとも限らない。
それぞれの立場に、それぞれの考えがあるので、「自分が絶対ではない」ということを小さな頃から言われていました。
自分を持つことはいいこと。
でも、自分の意見やスタイルが人に当てはまるとは限らない。
人と自分は違うもの
という極めて当たり前の事ですが、きちんと理解すると、
・他人の言葉に不用意に傷つかない
・自分の意見も言える
と思います。
自分と違う意見を言われても、別に自分が否定されたわけでもない。
自分が意見をしても、人を否定しているわけではない。
こんな風に思います。
顔形が違うように、考え方も異なって当たり前。
同じ事柄を経験しても、受け止め方やその後の行動も人それぞれ。
自由だと思います。
「絶対は、絶対ないのだ」といいながらも、思いやりはあったほうがいいなぁ、と思います。
「相手がイヤな事をしない」
でも。実はこれって難しいな、と思います。
よく「自分がされて嫌な事は、相手にしない」と言うけれど、自分が嫌な事が、相手はなんとも思わない事もある。
逆もあります。だから難しい。
相手がイヤな事が、自分はイヤな事でなかったら、気づきにくい。
例えば、私はハッキリものを言われても平気ですが、それが苦手な人もいるわけで。
だから、難しいけれど「自分の軸はしっかり持ちながらも、相手に向ける言葉は他人軸で選べたらいいな」と思っています。
その為には、相手をよく理解することが肝要。
そんな風に、「私は」思っています。もちろん、異なる意見もあってよいのです。
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